Veteranとは戦争で戦った陸・海・空軍の退役軍人のことです。
第一次世界大戦では35カ国が戦い、1914から1918年の5年間続きました。そのうちアメリカは1917年から1918年まで参戦しました。そして終戦を迎えた時、各国のリーダーたちはもう戦争を続けないという事で11月11日11時にサインをしました。そのサインをしたものは「アーミスティス」と呼ばれています。
アメリカ人達はそのアーミスティスのことを聞き、「もう兵士が戦争で死ぬことはない、兵士達が家に帰ってくる」と大変喜びました。人々は家から出て歌ったり、踊ったり、笛を吹いたり、そしてベルを鳴らしたりました。
ウィルソン大統領は11/11を終戦記念日としました。当時その日は「アーミスティスデー」と呼ばれていました。午前11時になると人々は皆、何をしていようとも動きを止めて、一分間の黙とうを戦争で亡くなった兵士達に捧げます。
その戦争でなくなった身元不明の兵士の遺体がフランスの墓地よりアメリカに運ばれました。その遺体はアーリントン国立墓地に埋葬され、その墓は「無名戦士の墓」と呼ばれています。
その後アメリカは第2次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争と3つの戦争に参戦したため「ベテランズデー」と名前を変えました。
無名戦士の墓には他に3名の身元不明の兵士の遺体が運ばれました。「ベテランズデー」の日には無名戦士の墓で、特別な式典が行われます。アメリカ人は戦争で戦った退役軍人たちを誇りに思っているようです。そのためか、戦争の名前がついたハイウェイを見かけることがあります。
1620年イギリスからメイフラワーという小さな船がアメリカに着きました。その船には100名ほどのピルグリムと呼ばれる人々が乗っていました。彼らの宗教がイギリスでは認められなかったためアメリカにやってきたのです。彼らにとって最初の冬はとても寒く、食料も十分な衣服もありませんでした。病気に罹り多くのピルグリムが死んでいきました。
春になると、先住民族のインディアンがやってきて、英語を話す二人のインディアンがトウモロコシの育て方を教えました。その後、ピルグリムは木を切って家を建てたり、森に住む七面鳥を獲ったりと一生懸命働きました。
秋になると、ピルグリム達は冬に備えて多くの作物を収穫することができとても喜びました。そして、御馳走を作り、インディアンたちを招待しました。こうして、ピルグリムがインディアンのに助けてもらった事を感謝したのがサンクスギビングデーの始まりです。
サンクスギビングデーの日とその翌日の金曜日は学校や、ほとんどの会社が休みとなります。宗教を問わずみんながお祝いをする日で、家族や親戚が集まる日です。夕食には七面鳥の丸焼きにグレービーソース、クランベリーソース、トウモロコシ、豆、ポテト、そしてデザートにはアップルパイやパンプキンパイといった伝統的な料理が並びます。パーティーの多い賑やかなクリスマスとは違い、静かに過ごす日本の「お正月」に近いように感じます。
アメリカの幼稚園で、サンクスギビングデーにちなんで作る作品
KENの手の七面鳥
インディアンの家 Teepee
インディアンのヘッドバンドとマカロニネックレスをつけて、Cornucopiasを持っているKEN。Cornucopiasとはやぎなどの角でできた入れ物の中に果物などを入れるサンクスギビングデーの飾り。